図書館

東京の杉並区には、いくつも区立の図書館があって、10分ほどで通える近場の図書館から、杉並中央図書館という蔵書も設備も立派な図書館が自転車で30分くらいのところにあります。昔、杉並中央図書館には、地下に喫茶食堂があった記憶があり、親に連れて行ってもらって本を探した後に飲むクリームソーダが格別おいしく、忘れられない思い出になっています。

そんな感じで、図書館と喫茶は、切り離せない食いしん坊なところがあるのですが、よく考えると面白い本をコーヒーでも飲みながら楽しむ習慣は、そんな小さな頃の思い出から続いているものなのかもしれません。

少し遠くの図書館に出向いてみるのも面白いもので、いつもと異なる数学の一般書が並んでいたりして、たまに一日時間が開いている時は遊びに行ったりします。子供の時は、柿の木図書館という少し遠めの地域図書館が、場所も分からないとても遠くの大きな図書館のように感じられて、ひそかな憧れを持っていました。きっと、柿の木という名前が良いためだと思いますが、L&Mの生徒さんのために数学の一般書を探すようになってから、久しぶりに柿の木図書館へ足を運んでみたのですが、数学のコーナーは、屋根裏のような狭い場所に追いやられていて不思議な趣がありました。ガウス日記など借りたように思います。

一番初めの図書館の記憶は、アメリカの小学校の図書館だったように思います。授業でその頃は検索コンピューターなどありませんでしたので、引き出しに入った索引カードを使った書籍の探し方などを習った覚えがあります。記憶に残っているくらいなので割合気に入っていたのかもしれません。

小学校3・4年生の頃には、日本に帰国していたのですが、日本の小学校ではズッコケ3人組にどはまりし、学校の図書館では競うように何冊も借りこんでいた気がします。それからコロボックル物語、ぼくらシリーズ、岳物語、宮沢賢治など記憶に残っていて、中学生くらいにはひと時、文学少年のていを装っていたかなと思います。

中高の図書館は、学校の図書館にしてはかなりしっかりした蔵書があり、文学少年の気位を持っていたので、そこそこ文学書などを手に取り、山本有三などは気に入っていたかなと思います。もちろん、教科書に出てくるような日本の文学者や詩人などにも手を伸ばし、そこそこ感傷にひたり、けれど日本の現代の小説にはあまり手が伸びないという感じだったでしょうか。お決まりの司馬遼太郎には、ズッコケ3人組くらいにどはまりしましたが、、。

最近の日本の数学者で天才、とか大御所とか言われている先生方によくある逸話としては、中高の頃から「大学への数学」や「数学セミナー」などの数学雑誌を愛読していて、読者投稿コーナーで名前が常連になっていたなどありますが、僕が中高の頃はそんな雑誌は名前すら知らず、専門雑誌と言えば、岳物語から夢見た「カヌーライフ」とか、剣道をやっていたので「剣道日本」とか、を集めていた記憶があります。けど、理系の専門雑誌では、「ニュートン」を愛読していてずいぶん、色々な数学、物理、化学、生物の知識に触れることができました。たしかに「ニュートン」が、数学の面白さに気づく一つのきっかけになりました。ただ、「大学への数学」や「数学セミナー」を中高の時代に手に取れていれば、数学の面白さは格段に深まったのではないかなとも思います。

数学雑誌や数学オリンピックなどない時代でも、数学や科学が好きな人は自然と図書館や本屋の数学コーナーにおもむき、一般書から専門書、歴史解説、学者の随筆などを読みながら本格的な学力を養っていくのだと思うので、何とも言えませんが、中高の自分の場合は、数学の知識を学ぶことを楽しむというよりは、ありのままの自然と同じように、ありままの数学を発見すること、探究することに楽しみを覚えていた気がします。その傾向は、今もあまり変わりがないように思います。ただ、もちろん、数学は学べば学ぶほどめくるめく不思議な物語を読んでいくような面白さがあり、学習だけでも十分に楽しく役に立つものです。

学習と探究のバランスは、人それぞれで何が正解ということはありませんが、自分が心地よく楽しめるを第一義にできればよいのですが、社会的な評価が必要とされるのも常ですから、だれでも関心の高い、悩みの多いテーマでもあります。

あまり早く探究に興味を持っても大きな成果が出るのは稀で、かといって、探究をせずに学習を主体に進むといつまでも創造的な能力が育たないのもたしかです。物理学者のファインマンは、ファインマン物理学と呼称されるほどに、学習するすべてを一から自分の頭で考え直さないと気が済まない性質だったようで、このような傾向は、多くの大学者に見られます。おおむね、ノートの中は探究にあふれ、それをいつ発表するかの問題、という形で学習を進めるタイプです。一方、数学者の高木貞治は、彼の有名な類体論の研究が行えたきっかけが、第一次世界大戦にあると言います。それは、ヨーロッパから送られてくる論文が途絶え、自分でテーマを見つけて自らの独創で探究する必要性に迫られたからだそうです。十分な研究生活の蓄積に加えて、そのような孤立が類体論という果実を結んだというわけです。

このような学習と探究についての試行錯誤については、多くの学者がその随筆に書くところですが、大方、ソクラテスとデカルトの二者をきちんと読めば、答えが書かれているような話でもあり、博士といえども現代の学者は専門化が進んでいるので、あまり言っては何ですがソクラテスやデカルトを読んだことがない立派な学者もたくさんいます。というのは、傑出した能力や天才というのは偏った知識の上に立つことが往々にしてありますし、それはどこまでいっても一人の人間が知ることのできる知識というのは少ないものだからです。

話を図書館に戻すと、大学時代はやはり、大学内の図書館が素晴らしいので、特に母校のICUは図書館に力を入れていて、充実した蔵書と設備で、多くの学生が図書館に入り浸るのが当たり前という大学でした。数学に強い興味をもって理学部に入学したものの、ICUの教養教育にすっかり骨抜きにされ、何でも知りたいという風にあちこちに興味が分散していた大学一年生でした。それまでの学ぶ自由の効かない受験勉強のうっ憤を晴らすべし、と大学一年生の夏休みは大学の図書館で何でも興味のある本を読んでみました。これは人生で一番楽しい自由な勉強のできる期間だったかもしません。英語の先生からは、なぜ君は夏休みに大学にいるのか?、みんな学外で活動しているよ!と茶化されたりもして、良い思い出に残っています。

大学時代には、遠足がてら日比谷図書館や国会図書館にも足を運ぶことを覚え、世の中にはこんなに多くの数学書や研究論文があるのだなとワクワクした記憶があります。数学で大学院に進んでいれば、また数学に強い図書館や図書館の使い方を知る縁もあったかなと思いますが、それはずいぶん後のことになりました。

どんな学問でも同じかもしれませんが、特に数学は、多くの初学者にとって本を手に取ってすぐに理解できるというものはないので、それなりに勉強の仕方や勉強戦略というものが重要になります。教科書や専門書を一途に読み進めるだけでは、つまずきも多くなってしまいます。そのようなときには、図書館に出向いて、先ほども一言述べましたが、専門書以外に数学雑誌や一般向け教養書、数学史の解説本や学者の随筆集などを読んで、専門書周辺の知識を収集し、動機や基礎、応用や発展、歴史や目的をつかみ学習計画を立てることも大切になります。それが楽しい数学の学習につながることになると思います。また、これらの多くの本を閉じ、自分の頭で探究した内容をノートにしたためていく、ということも数学学習の醍醐味であり、学習に加速を与える要素にもなります。