夜ふけまで、一生懸命に打ち込むという経験をほとんどしたことがありませんが、一番初めの記憶は高校一年生の自由研究でした。深夜までラヂオを聞きながら、あるいは、夜の静かな外の音を聞きながら、月の絵を描いたことでした。3日3晩、徹夜した記憶があります。いや、寝たかな、今では一晩も徹夜などする気もおきませんが、、。
月の絵といっても、始めは買ってもらった望遠鏡を意気揚々のぞき込んで、ガリレオ・ガリレイ気分にひたってスケッチする企画でした。しかし、借りてきた図書館の鮮明な写真と見比べるうちに、あっという間に衛星画像の模写と趣旨が変わってしまって自分でも、これは意味があるのかしらと疑問を抱いたことを思い出します。けれど、寝ぼけまなこにフラフラしながら気付いたこともあります。
大きな画用紙に、等身大の半分ほどの大きな月を思い切りよく描いていたのですが、だんだん細部があやしくなって、月の山やらクレーターやら谷やらの影の描き方も通りいっぺんになっていき、ほとんど模範を見ずに描くようになっていきました。そこも難点、課題と思いつつ、不思議と雑に描いてもひとたび遠くから、いや、すこし目を離してその絵をながめると、けっこう生き生きとした月の輝きが見えてくるのでした。絵というものについてのそんな発見が一番の収穫だった気がします。
通っていた高校は、自由研究も一つの見せ場で、入学前の学園祭に展示されていた知り合いの先輩の小説なるものを見て、一種の衝撃を受けていたので、かなりの意気込みをもってのぞんだものでした。しかし、結局、フラフラになりながら仕上げた月の図面は、ただの模写となり、自分としては何も創造性を感じず残念に思っていたのでした。しかししかし、案外、先生方にはその大きさと迫力が気に入られたようで、上手いこと入学前に憧れた展示会にならぶ運びとなり、銅賞のおまけまでもらって立派に展示されたのですが、やはり、模写ですから何だか嘘を付いたような恥ずかしさを感じたものでした。
ただ、地道に仕上げると絵は、それなりの迫力が出るものだと驚いたのは確かでした。それで、自分の研究よりも驚いたのが、その月の絵の横にあった友人の、天才と噂されたN君の数学研究でした。どうも一見して、その研究は独自の内容をN君がていねいに解析して発表に至っているようなのです。人間に、それも同類の?学生に、そのようなことが出来るものなのか、という衝撃だったように思います。
けれど出来ていた、それもなかなか面白く、よく分からないほど、高踏、そして金賞、、。次回は自分もやってみたい、そうかガロアみたいに、わくわくと、またもやミーハー心に火が付いたのでした。
その頃は、運よく学校でも評判の高い、数学の名物先生の授業を受けており、数学への関心が高まり始めた時期でした。数学の授業なのにいつも白衣を着ているという風変わりなおじいさん先生でした。日頃、先生の授業に感動していた僕が「面積や体積一定で一番小さな周や表面積を持っている形は円、球でしょうか」という質問をすると、シャボン玉を思い浮かべてそうかなと思い付いたのですが、その名物先生がそれは等周定理というんだよと教えてくれ、そのうえ難しくてさっぱり分からない微積分による証明をわざわざ探して来てくれたのでした。
そんな伏線もあって、自由研究の展示会あたりから僕の数学熱は勢いを増していくのでした。打ちっぱなしのコンクリート校舎の展示室には、小奇麗に並べられた自由研究の作品たちが秋の陽光を浴びていました。生き生きと居並ぶ姿を懐かしく思い出します。校舎と校庭の間に武蔵野のよい風景の残された学校でした。