高校一年生の頃でしょうか。
数学で⇒という記号が出てきて、そこからしばらく黒板の内容がチンプンカンプンになってしまったのです。
特に⇔という記号に至っては、おそらく学校であまり習わない間に通い始めた塾の先生が集団授業で猛烈な勢いで⇔を連発して、完全に異世界に迷い込んだと感じたかすかな記憶があります。
それで、しばらくは見よう見まねでこの記号を使っていたのかなと思いますが、この経験は「見よう見まねだけ」で数学をすることほど数学が分からなくなる学習法はない、という今回の隠れテーマにもつながっていきます。
私の場合、見よう見まねで使っているうちに分かったような分からないような、結局、分らないまま進んでしまったのでした。それがいつまで分からなかったのか、、。
「導出・ならば」記号⇒
まず、⇒という記号の意味は、⇒の左側が正しければ右側が正しい、ただそれだけの意味です。これをきちんと確かめながら用いれば、何も問題ありません。
たとえば、「犬 ⇒ 動物」をまず確認しましょう。これを「xは犬 ⇒ xは動物」としても良いでしょう。はじめxは何か分からないものですが、「xは犬」という文章で犬を指す記号になるわけです。「あれは犬」と代名詞「あれ」を使うのと変わりありません。
さて、この仕組みが数式でもあてはまることにあります。
たとえば、\( x < 1 \Rightarrow x < 2 \)で確かめてください。\(x < 1\)でxに入る数が1より小さい数に限定されて、1より小さい数をxは指す記号になっています。\(x < 2\)も同じです。
つまり、日本語に訳せば「1より小さい数であれば2より小さい数である」又は「ある数が1より小さい数であることが正しければそれは2より小さい数である」となります。
次に、⇔は、⇒左側が正しければ右側が正しいと⇐右側が正しければ左側が正しい、このどちらも正しいという意味です。
ただ、それだけの意味なのですが、それだけの意味をきちんと確認していくことが数学では大切になります。
たとえば、\( x^2 < 1 \Leftrightarrow -1 < x < 1 \)について平面座標を書いて両方向について確かめてください。
推論
この⇒のことを「導出・ならば」記号と呼ぶこともありますが、一般的に、「あることが正しければ別のあることが正しい」という二つのことがらの関係を推論と呼びます。つまり、記号⇒は推論を意味する記号なのです。
論理の基本というのは、この推論を一つ一つできる限り確実に積み上げていくことになります。一つ一つ確実にすることで間違いを除いていくわけです。
例えば、「そこは本当に正しいのですか?」と聞かれてもきちんと推論を積み上げておけば、どんな質問にも一つ推論を遡って「それは何々だからですよ」と根拠や理由を答えられるのです。
特に数学の議論は、つまり、数学書や数学の教科書などのすべての内容は、この推論をきちんと守って書かれています。この推論が成立していない内容は、「間違い」あるいは「真偽不明」として排除されているのです。
だから、この基本ルールを知っていれば、確実に推論を確かめて自分の頭で「これは正しい」と確認しながら読めばこの先に学ぶすべての数学を理解できるだろう、とあらかじめ安心できるのです。
一方、この基本ルールを知らないと数学は何かすごい計算力や想像力のある人が難しいことをしているのだなあ、なぜこんなことを思い付くのか、、どんなときに正しいと言っているのかいないのか、、とチンプンカンプンに陥ってしまいます。
そんな時には、どんな事柄でも一歩一歩「正しいこと」が積み上げられていることを思い出してください。その推論は一歩一歩進めば誰でも「正しい」と分かるようにできています。そうでなければ、それは「間違い」あるいは「真偽不明」なのです。
「見よう見まねだけ」では、、
とはいえ、数学の教科書を開いてチンプンカンプンになることは日常茶飯事です。それは、大量にある推論の一部しか教科書には書き切れないで省かれているからです。逆に、すべて一度に書き込むとそれはそれで推論を追い切れなくなる、そんなジレンマが数学にはあります。
そのため、数学の教科書を読むときは自分の頭でたくさんの推論を埋める必要が出て来ます。それが冒頭で触れた「見よう見まねだけ」では、数学は分かるようにならないという理由です。
ただ、偉い先生の中には証明をノートにそのまま書き下すことを推奨する先生もいらっしゃいます。数学の勉強の仕方はそれぞれの個性にあったものが大切です。なので自分にそれがあっていればそれで良いと思いますし、教科書に書かれた内容は重要な推論の流れであることはたしかなので、ノートに書き下すことで理解が進むのも当然だと思います。
一般的に、手を動かしてあれやこれやと教科書の内容に加えて自分の考えもノートに書き下すことはとても大切だと思います。さらに、おおむねの考え方を頭に入れたらノートも閉じて一人になれる時間を使ってあれやこれや考えてみる、この両方を行う習慣が数学が得意な人には多いかなと思います。
どのような形にせよ、意識的に確実に推論を追う、推論を確かめて考える習慣をまずは身に付けましょう。
講師 瀬端隼也